天皇機関説事件

天皇機関説事件とは

天皇機関説事件とは,天皇機関説が国体に反するものとして,政府に禁止されたことを巡って起きた事件であり,これに伴い,天皇機関説の代表者たる美濃部達吉の著作は発売禁止,美濃部自身は公職追放になった.

経緯

1935年2月,第67議会で貴族院議員の菊池武夫が,帝国大学の学者らの国体を破壊する著作に対する措置を岡田内閣に求めた.この発言は,勅撰議員として議会にいた美濃部達吉の天皇機関説演説を引き起こす契機となった.天皇機関説が貴族院で講演されると,民間の国家主義・日本主義団体は,「国体擁護・機関説撲滅」を掲げ,共同戦線を形成し,宣伝・示威・言論活動を展開した.

議会閉会後,4月9日,岡田内閣は美濃部の憲法解説書を発売禁止処分とし,8月3日には,天皇機関説を「我が国体の本義を愆るもの」と否定する首相声明を発した.さらに,8月12日には,陸軍軍務局長永田鉄山少将が相沢三郎中佐に惨殺された相沢事件が発生し,軍部内の国家革新運動と機関説排撃運動が合流することとなった.政府は,排撃運動の言論活動を取り締まる一方で,美濃部の議員辞職・憲法論述の禁止と引き換えに美濃部を起訴猶予処分とした.10月7日には,首相の第二次声明が発せられ,陸軍は在郷軍人会組織を侵食していた三六倶楽部などの制圧を行い,排撃運動は沈静化した.しかし,岡田内閣は4か月後の二・二六事件によって崩壊した.

天皇機関説

天皇機関説とは,19世紀ドイツの公法学において通説的地位を占めていたゲオルグ・イェリネックに代表される国家法人説君主機関説を我が国に適用したものである.

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国家法人説とは

国家法人説とは,国家は法的に考えると一つの法人であり,意思を有し,権利の主体であるとする考え方である.これを我が国にあてはめれば,天皇は,国家という法人の機関であり,国家の代表機関として意思決定を行う.

美濃部は,国家は「最高の権力を有する領土団体である」と定義し,国家が共同の目的を有する多数人の組織的結合体であるということは,次のことを意味するとした.

  1. 君主も臣民もともに国家のうちにあり,国家を構成する要素である.
  2. 国家はそれ自身目的の主体である.
  3. 国家は意思の主体であり,機関を備えたものである.
  4. 国家は単一体である.

美濃部はこの中で,こうした国家が機関を必要とするということ,機関なくして国家は行動することができないことを重視する.

国家法人説に対する批判

美濃部の国家法人説に対し,穂積八束上杉慎吉は批判を加えた.

穂積によれば,国家法人説は,民主共和の思想であるため,国家が人格を有することは認められるものの,国家を法人であるとはされない.

上杉によれば,国家法人説は本来西洋国王の統治権者でないことを論断するために構成されたものであり,我が国になじまない.

更に,穂積・上杉は,国家法人説は,その本義が民主共和にあることを強調し,その意味は,(1)国政が君主一人によるものではないこと,(2)国会が君主と対等であることを確認することであるとした.

天皇機関説と国体

天皇機関説が国体に反するかどうかは国体の理解の仕方にもよるが,一般的に,国体とは次の3つの内容を含むと考えられた.

  1. 天皇に主権が存することを根本原理とする国家体制
  2. 天皇が統治権を総攬するという国家体制
  3. 天皇を国民のあこがれの中心とする国家体制

穂積・上杉の両社は,美濃部の採る国家法人説が以上の国体に反するとして反対した.すなわち,天皇が統治権の主体であるとする国体の考え方に,天皇を国家という法人と扱うということが反するというのが反対理由である.国体に権力的な要素を含めるかどうかによってその理解は変わるということができる.

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